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仕事そのものは嫌いじゃないけれど、毎日の厳しいノルマや長い労働時間、結果を出すことへのプレッシャーなどから、スタッフみんなが精神的にも肉体的にも疲れ果て、自分のことで精いっぱいで、誰も他の人のことをフォローしたり気遣ったりする余裕もなく、チームはバラバラ、雰囲気最悪、みんなイライラしてて怖いし、自分のモチベーションも上がらない、この殺伐とした空気の中にいるだけで胃が痛くなる、職場に行くのがツライ!――と感じているあなた。
ほんの少し「会話の工夫」をすることで、仲間との信頼感を高め、おたがいに協力しあえる「働きやすい職場」へと変えることができるんです。
「職場がツライ」を変えるカギは4つ。それは……本文で。
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著者・竹内義晴さんからの動画メッセージ
まえがき
竹内義晴です。この本を手にしていただきまして、ありがとうございます。
いま、この本を手にしているあなたは、厳しいノルマや長時間労働、結果を出すことへのプレッシャーなどに、毎日さらされているのだと思います。きっと、スタッフみんなが精神的にも肉体的にも疲れ果て、自分のことで精いっぱいで、誰も他の人のことをフォローしたり気遣ったりする余裕もなく、チームはバラバラ、雰囲気最悪の職場にいらっしゃるのでしょう。みんなイライラしてて怖いし、自分のモチベーションも上がらない、こんな殺伐とした空気の職場に行くのがツライ!――とお悩みなのですよね。
仕事は毎日のことだけに、職場がツライと、本当に憂鬱です。その気持ち、よくわかります。なぜなら、少し前まで、私もそのひとりでしたので。
でも、もう大丈夫。ほんの少し「会話の工夫」をすることで、仲間との信頼感を高め、おたがいに協力しあえる「働きやすい職場」へと変えることができるんです。
この本が、あなたの「職場がツライ」を変えるきっかけになることを願っています。
《序章 思いやりも笑顔もない職場で働くつらさの中で見つけたこと》
ひとりで自分の仕事だけをしていたかった
私は以前、プログラマでした。
プログラマの仕事とは、頭の中で「どのようにしたら、この処理ができるか」を考え、自分の手でプログラムをつくり、コンピュータ上で動かすこと。私は、この「ゼロからつくりあげる仕事」が好きで、これから先も、ずっとプログラムをつくる仕事を続けたいと思っていました。
コンピュータのシステム開発は、ひとりでつくる小規模なものもあれば、何十人ものチームでつくる大規模なものもあり、さまざまです。私はひとりでプログラムをつくることが好きだったので、チームを組んで仕事をするときも、チームをまとめたりする仕事は他の人にまかせ、私はプログラムをつくることだけをやっていました。
「チームワーク」とか「チームをまとめる」といったことに、私は興味を感じることができなかったのです。
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周囲の人のことなど気にせず、自分の仕事だけをやっていればいい――。思えば幸せな日々でした。でも、そうした日々は、長くは続きませんでした。
30歳を過ぎ、会社の中でも中堅になって、主任という肩書きがつくと、「ただ自分の好きなようにプログラムを組んでいればいい」というわけにもいかなくなってきました。主任として、若手を育てることも必要ですし、会社というチームのスタッフとしての働きも、要求されるようになったのです。
しかし私は、ずっと現役プログラマでいたかった。人を育てたり、職場全体を意識しながらチームスタッフとして働くことには、どうしても興味が持てませんでした。
そこで、転職することにしました。転職の条件は、「プログラマとして、ずっとプログラムをつくる仕事ができること」。
いくつかの会社を調べ、面談を受け、ソフト開発会社のD社に転職が決まったときは、「これからも技術力を生かしたプログラマの仕事ができる!」と、ワクワクしたことを覚えています。
みんなが自分のことだけで精いっぱいの、つらい職場
D社に転職してすぐに、D社の顧客であるM社のシステム開発プロジェクトの一員として、私も参加することになりました(IT業界では、チームの一員として顧客の企業へ常駐し、システムを開発する形態がよくとられます)。
それは、24時間365日休みなく稼動し、それが停止すると業務が止まってしまうという、大規模なシステムの開発でした。そのプロジェクトの一員に選ばれたことで、「私の技術力を思い切り発揮できるぞ!」と、期待が高まりました。
けれども現実は、そう甘くはありませんでした。
開発はスムーズには進まず、残業も多くなり、肉体的に厳しい仕事でした。そればかりか、M社は仕事を私たちに丸投げする一方で、
「もっと提案してください!」
「もっと自発的に行動してください!」
などと要求したり、開発納期へのプレッシャーから、
「なぜ、そんなに時間がかかるんですか?」
「もっと効率よく仕事をしてください!」
と急かしてきます。そのうえ、プログラムの不具合を出すと、
「なぜ不具合に気がつかなかったんですか?」
「不具合を出したのは、竹内さんのスキルがないせいです!」
などと責められ、精神的にも非常に厳しい仕事でした。
プロジェクトチームには、私のほかにもD社からの若手スタッフがいましたし、M社が各地から集めたエンジニアたちもいました。多くのスタッフが私と同様に、肉体的・精神的に追い詰められ、疲弊していました。そのため、誰も他のスタッフのことをフォローしたり気づかったりする余裕はなく、現場の雰囲気は最悪、チームはバラバラでした。
肉体的にも精神的にも過度なプレッシャーの毎日のなかで私は、M社の社員を見ると「また怒られるのではないか」「文句をいわれるのではないか」と思うようになり、普段の会話にも緊張するようになっていきました。そして、次第に胃がキリキリと痛みだし、十二指腸潰瘍になるまでには、それほど時間がかかりませんでした。
私は、プログラマの仕事が好きでした。
顧客と夢を語りながら、「どのようなシステムをつくりあげるか」を打ち合わせ、実際にプログラムをつくって納品する。それが顧客に評価される――。自分の仕事やスキルに自信を持っていましたし、開発の遅れやシステムトラブルで残業や徹夜をすることも多々ありましたが、それでも、いつも「私がこのシステムをつくっているんだ!」という意気込みがありました。
でも、M社のプロジェクトは、夢を語る余裕もないままに、ただただ「成果を出せ」と要求されるだけ。そのプレッシャーをチームで分かちあい、たがいに協力して困難を乗り切ろうという雰囲気もありません。みんな、自分のことだけで精いっぱいなのです。
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そこには「夢」も「協力」もなく、あるのは「成果を出せ」というプレッシャーだけ。おなじ仕事をする仲間でありながら、私も他のメンバーも、みんなひとりぼっちでした。
がんばっていることを認めてほしい、褒めてほしい
十二指腸潰瘍の治療のために薬を飲み、ストレス発散のために酒を飲む日々――。ただもう毎日が苦しくて、つらくて、たまりません。
このつらさを、誰かにわかってほしい。M社の人でもいい。チームのスタッフにでもいい。がんばっていることを認めてほしい。褒めてほしい……。
けれども職場はバラバラで、誰も、ほかの人のことなど見ていません。なので、認めてもらうことも、褒めてもらうこともありませんでした。
ある日の夜、布団に入り、天井からぶら下がる照明の、ぽつんと光るオレンジ色の光を見ていたら、涙が出てきました。
涙は次第にあふれだし、頬を伝わっていきました。隣で眠る妻に気づかれぬよう、声を押し殺して泣きました。そんな私に気づいた妻は、「そんなにつらいのなら、もう仕事を辞めてもいいよ」といってくれました。
その言葉で、私は仕事を辞める決意をしました。また、以前からプログラマとして独立したいと思っていたので、これを機に独立を考えました。
そのことを含め、D社の社長と面談したところ、社長はこういってくれました。
「辞めたいという気持ちは、よくわかった。独立することにも反対はしない。けれども、いまはまだ、なにも準備ができていないんじゃないのか?
形式上独立するのはかまわないから、準備ができるまではもうしばらく、このまま働きなさい。準備ができたときは、喜んで送り出すよ」
実際、いま独立しても、すぐに仕事が見つかるはずもありません。そこで、形式上は独立して、D社とは業務契約を結び、いままでと同じ仕事をとりあえず続けることにしました。M社で常駐する職場環境は、すぐには変わりませんが、形式だけでも独立したことで、気分的には少し晴れた気がします。あとは、いかに早くM社から抜け出すか、そしてD社から本当に独立を果たすかを、考えればいいのです。
私は、本当に独立できる日を夢見て、準備を始めました。
仲間とワクワク楽しく働ける理想の職場をつくりたいのに
D社から形式的に独立してから、1年が過ぎようとしていました。M社のプロジェクトも終盤に近づき、各地から集まっていたエンジニアが少しずつ、プロジェクトから離れていきます。プロジェクトに参加していたD社グループでも、リーダーがプロジェクトを離れることになり、後任として、私がリーダーの仕事を引き継ぐことになりました。
ずっとプログラマの仕事を続けたかった私は、リーダーだけにはなりたくありませんでした。形式上独立もしていることですし、どうしてもD社スタッフのリーダーにならなければいけない理由はありません。
しかし、ほかのスタッフは若手が多く、年齢的にもキャリア的にも、リーダーに適任なのは私しかいませんでした。そこで、「これがD社での最後の仕事。早く仕事をかたづけて、M社ともおさらばしよう」と腹を決め、引き受けることにしたのです。
どうせリーダーになるのなら、「一人ひとりがやる気を出し、仲間とワクワク楽しく働ける職場」をつくろうと思いました。それまでM社のチームの一員として働いてきて、私も若手スタッフも、肉体的にも精神的にも、つらく、苦しかったからです。これ以上、若手スタッフに嫌な思いをさせたくありません。
けれども、どのようにしたら理想の職場がつくれるのか、私にはわかりませんでした。社会人になってから十数年、モデルとなるようなリーダーとも出会ったことがありません。
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一方、「一人ひとりが自分のことだけで精いっぱいで、仲間を思いやる余裕もなく、誰からも気にかけてもらえず、ひとりで苦しむ職場」をつくる方法はよくわかっています。これまでM社で自分がされてきたことを、すればいいのです。
ということは、理想の職場をつくるには、自分がされてきたことの逆をやればいいのではないか――。
しかし、頭では「逆をやればいい」とわかっていても、実際にできることといえば、自分がいままでされてきたのと同じこと、つまり、スタッフにプレッシャーをかけることの繰り返しだけでした。
「話の聞き方」が変わるだけで、こんなに気分も変わるなんて
どうすれば、みんなが協力しあい、たがいにやる気を高めて、楽しく働ける、理想の職場をつくれるのか――。その方法を見つけるために、リーダーシップやマネジメントなどに関するノウハウ本を、たくさん読んで研究しました。
そんなときに、知り合いの紹介で、「信頼関係をつくりながら話を聞く会話術」を指導する先生に出会ったのです。そして、その先生が開催している勉強会に、参加することになりました。
先生によれば、信頼関係をつくりながら相手の話を聞くためには、ある簡単なコツがあるといいます。そのコツについて、30分ほどのレクチャーを受けたあと、ふたりずつペアになって、実際に練習をすることになりました。
私のペアは、5名のスタッフを率いる女性経営者です。まず最初に「話し手役」となった彼女は、私にこんな話をしてきました。
「私は会社をひとりで始めました。業績は順調に伸び、いまでは5名のスタッフを抱えています。5名のスタッフは、いったことはちゃんとやってくれるんですが、自分からは動こうとしないんですよね。だから私は、それをどうにかしたくて、コミュニケーションを勉強しているんです」
私は彼女の話を、レクチャーで教わったばかりの「簡単なコツ」のとおりに聞きました。「こんなことで信頼関係が築けるのなら、苦労しないよ」と思いながら。
しかし、3分が経過して、会話の終了を知らせるアラームが「ピピピッ」と鳴ったあと、彼女は私に笑顔でこういったのです。
「話をして、とてもスッキリしました。スタッフにも、いろんな思いがあるのかもしれません。その思いを聞いてあげて、私の思いとつなげられたら、みんなも動いてくれるかもしれませんね」
私は「話をしてスッキリした」「その思いを聞いてあげて、私の思いとつなげられたら、みんなも動いてくれる」という言葉を聞いて、意外に感じました。彼女は、話すことでスッキリしたばかりか、自分で問題の解決策に気がついたようなのです。
彼女と私は初対面ですし、会話をしたのは3分程度です。しかも、私はある簡単な「話の聞き方」どおりに話を聞いていただけです。このとき初めて、「会話のしかた」を少し変えるだけで、相手との信頼関係は大きく変わるんだということが実感できました。
今度は私が話し手になる番です。そのとき実際に抱えていた、理想の職場をつくりたいのにうまくいかないという悩みを、彼女に話しました。するとどうでしょう! たしかに自分のことが話しやすく、また彼女の「聞く姿勢」がとても心地よいのです。
先ほど彼女が「話をしてスッキリした」といった理由が、わかった気がしました。また同時に、いままで自分は「話の聞き方」が特別ヘタだとは思っていませんでしたが、実は人の話をあまり聞いていなかったことにも気づきました。
「ちょっとした工夫をして相手の話を聞くことで、信頼関係が生まれる。これは、理想の職場を実現することにも、きっと役に立つに違いない!」
私は翌日からさっそく、教わった会話術を職場で試してみることにしたのです。
会話を変えたら、職場の雰囲気が変わった!
習った会話術を使い、まずはスタッフの話を聞くことから始めてみました。
すると、それまで「仕事ができないヤツ」と思い込んでいたスタッフが、実はほかにやりたいことがあるということに気がついたり、いままで苦手だった年上のスタッフが、意外なアイデアを持っていることがわかって驚いたり。
しかも、会話を繰り返していると、ひとり、またひとりと、少しずつスタッフの表情が明るくなってきたのです。職場に次第に笑顔が増え、それにつれ、やる気を出すスタッフが増えました。おたがいに助けあい、自分で考えて行動するようにもなっていきました。
一人ひとりがいくらがんばっても、1+1=2にしかなりません。しかし、スタッフがおたがいに励ましあい、助け合うことで、チームとしての力が上がれば、一人ひとりの関わりが掛け算となり、成果は無限大になります。
こうして、D社グループが次第に活発になっていくと、いままで「もっと自発的に行動してください!」といっていたM社の社員のなかにも、「うちの社員よりも自発的に行動してくれ、システムのことをよく考えてくれて助かる」と評価してくださる方が現われるようになりました。この言葉は私に、職場の雰囲気をよくし、仲間の気持ちを高めることで、自分も楽しく働けるし、チームとして満足のいく仕事もできる、ということを教えてくれました。
チームワークだとか、他のスタッフのやる気をのばしたりすることなんて、面倒くさいし、魅力を感じないと思っていた私が、それをすることで「理想の職場」をつくっていく仕事って楽しい!と思うようになったことに、もっとも驚いたのは私自身です。
転職してからプレッシャーの毎日で、体を壊したり、精神的に壊れそうになったりもしました。でも、ひょっとしたら、これらの苦労はすべて、仲間の気持ちがバラバラであることのつらさや哀しさを、そんな職場をひとつにまとめる喜びを、そして仲間が笑顔でイキイキと働くことのできる職場の素晴らしさを知るために、必要なことだったのかもしれません。
どうしたら、仲間と方向性を共有し、ひとつにまとまることができるのか?
どうしたら、仲間のやる気を引き出すことができるのか?
どうしたら、仲間がみずから考え、行動できるようになるのか?
どうしたら、悩みを抱えた仲間の心のケアができるのか?
私の職場が、なぜ変わることができたのか。その秘密は「会話」にあります。
といっても、決して難しいことではありません。ほんの少し、会話を工夫することで、各個人がバラバラで雰囲気が悪く、スタッフのモチベーションも上がらないような職場が、スタッフ同士が「仲間」としておたがいに尊重し、協力し、建設的な意見を出しあい、個々の能力を発揮して楽しく働き、チームとして成果を上げられる職場へと変わります。
そんな「みんなの気持ちがひとつにまとまる楽しさ」を、あなたにも体験していただきたいと思っています。
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